2019年8月4日から6日にかけて、全労金・労済労連2019ヒロシマ平和行動を開催し、全労金から69名(男性42名・女性27名)、労済労連から34名(男性25名・女性9名)の合計103名(女性参加率34.5%)が参加しました。
内容は、①主催者挨拶、②ビデオ学習、③被爆体験講話、④オリエンテーション、⑤平和学習(ピースウォーク)、⑥グループ討議、⑦連合2019平和ヒロシマ集会・2020年核兵器不拡散条約(NPT)再検討会議に向けた平和シンポジウム、⑧広島市平和記念式典、⑨災害からの復興・再生に向けた取り組み報告、⑩まとめ、でした。
①冒頭、吉野実行委員会委員長(全労済労組)より、「世界では戦争が続いている中、日本は先の大戦以降、戦争は起きていない。しかし、『平和』と『戦争』は対義語ではなく、銃口を突き付け合って守られている平和は平和ではない。本平和行動への参加が、みなさんに『私たちには何ができるのか』を考える機会となることを期待する」との挨拶を受けた後、主催者を代表して、池田中国労組委員長からは、「戦争は社会の基盤を破壊するものである。連合は、広島を含めた4つの平和行動を展開し、それぞれで戦争のない平和な社会の実現をめざしている。『No more HIROSHIMA』を掲げ、世界の核兵器廃絶に向けた運動を、ここ広島から拡げていく。みなさんは職場の支えを受けて参加できていることを忘れることなく、本平和鼓動を通して、意義・目的を学んでもらいたい」との挨拶を受け、開会しました。
②「にんげんをかえせ」「はだしのゲンが伝えたいこと」「『ヒロシマ』被爆者からの伝言」を視聴し、原爆被害の実相、並びに、「はだしのゲン」の作者である故中沢啓治氏のインタビュー映像や被爆者からの伝言を通じて、命の大切さ、家族の大切さ、そして次の世代への伝承者の必要性について学習しました。
③広島県原爆被害者団体協議会所属の曽根薫氏(元江田島町長)より、13歳の時に被爆した経験について、講話を受けました。曽根氏は、高等小学校の級友とともに建物疎開作業中に被爆したが、たまたま級友の陰に隠れていた形であったため、ほぼ無傷であった。しかし、級友は大火傷を負い、ひどい状況であった。郷里の江田島から迎えに来た父母と再会することはできたが、兄は大怪我、姉は亡くなっていた。負傷者で溢れた港からなんとか江田島に戻った後は、急性放射線障害に苦しめられたが、その後、江田島市役所職員として働くことになり、町長までさせてもらうことになった。原爆についての話は自らすることなく過ごしてきたが、退職後、何気なく孫に体験談を話した際の反応から、原爆の体験者として、自ら語り継いでいかなければならないと思い、語り部を受けることになった話されました。これからの人生では、先人が獲得してきた原爆手帳により「健康第一」の生活を続け、被爆の事実の風化を防ぐために「被爆体験を語り継ぐ」ことと、原爆から自分を守ってくれた級友のためにも「地域の役に立つ」行動を続けていきたいとされました。なお、講話後の質問では、参加者から「原爆の経験者として、原子力発電といった核の平和利用をどう思うか」「多くの体験者が口を閉ざす中、前向きに生きて、体験を語り継ぐことができたのはなぜか」等の質問が出されました。