全労金「第7回災害からの復興・再生集会」
全労金「第7回災害からの復興・再生集会」を開催しました!
全労金「第7回災害からの復興・再生集会」を開催しました!
3月9~10日、福島県内で「第7回災害からの復興・再生集会」を開催しました。前年度から現地に集合しての開催を再開し、各単組から16名の参加者と全労金四役、東北労組の現地実行委員をあわせて合計30名で開催しました。
集会の内容は、①開会集会(ⅰ主催者代表挨拶、ⅱ全労金挨拶、ⅲ自己紹介、ⅳ基調提起)、②現地視察、③講演、④分散会、⑤閉会集会、でした。
集会の開会あいさつでは、綿実行委員長(東北労組執行委員長)より、全国からの集会への参加と震災以降続いている全国からの大きな支援への感謝すると述べられたうえで、東日本大震災当初の被災状況や東北労組の取り組み、防災・減災への心構え、震災を風化させない取り組みを被災単組として発信し続けてく重要性について述べられました。次に、全労金深見委員長より、能登半島地震の状況、東日本大震災発生後の全労金の取り組み、特にボランティアの活動経過と南相馬ボランティアセンターが閉所になった際のセンター長の感謝の言葉に触れたうえで、集会参加者が自分自身で被災地の事実を知る重要性、単組の災害対策マニュアルの活用等について挨拶しました。次に、集会参加者からそれぞれ自己紹介とあわせて、本集会への意気込みや震災当時の状況について発言しました。その後、小室実行委員会事務局長(東北労組福島県支部書記長)より基調提起を受け、現地視察に出発しました。
フィールドワークでは、JR浪江駅やなみえ創成小学校・中学校を経由して、浪江町の震災遺構となった「請戸小学校」、双葉町の「原子力災害伝承館」を訪問し、東日本大震災の発生に伴う津波被害の脅威と福島第一原子力発電所の事故がもたらす「複合災害」について、福島で何が起き、被害とどう向き合ってきたか、今なお続く風評被害の払しょくや、震災を風化させず後世へ伝え続けていくためにどのような取り組みが求められるか、等を共有した。また、福島市へ戻る際には、震災から13年が経過した今もなお、「帰還困難区域」として自宅前にバリケードがあり、自宅への出入りも解体さえも自由にできない双葉町の街並みを車窓から確認しました。
講演では、福島県教職員組合双葉支部書記長の日野氏より「震災から13年~双葉郡の小中学校の現状と放射線教育~」と題して、①原発事故直後の出来事、②見捨てられた福島、③震災から4年後の状況、④震災以降の教育現場の様子、⑤放射線教育の必要性、等について丁寧に説明いただきました。
分散会では、現地視察や講演を受けて、率直な感想を出し合い、自分たちに何ができるのか、今後単組でどのように取り組んでいくべきか、意見交換を実施しました。参加者の皆さんからは、「13年経ち復興が進んでいると思っていたが、地域によってはインフラは進んでいても人の姿がなく、復興が進んでいないこと、原発の影響があることを実感した」「助けに行きたくても行けなかった話を聞いて辛かった」「子どもたちに与える影響が大きく、辛い体験をしていることを感じた。子どもたちが大きくなるにあたって、いじめや差別を受けており、転校先の親の意見や間違った情報が成長に影響することも認識した」「地域や組合員間で温度差があるため、情報を繰り返して発信することが必要と感じた」、等の発言がありました。
開催風景
開催風景