●春闘は最大の統一闘争
春闘は、日本労働運動が作り上げてきた最大の統一闘争です。出発は、1955年に合化、炭労、私鉄、紙パ、全金、化同、電機労連で組織した8単組共闘を契機にした「春季賃上げ共闘会議」が発足してからです。
発足当時は、敗戦から10年で、労働者は生活が貧しく、切実に賃上げを求めていました。他方で企業は、「生産復興」に必至で、賃上げには徹底した押さえ込みを図ってきました。だから、「闇夜を手をつないでいこう」という呼びかけが労働者の心に響き、企業を超えた全国統一闘争として春闘が発展することになったのです。
その後は、高度成長を背景に、賃上げを確実に勝ち取る春闘は日本の労働運動に深く定着し、1974年には、賃上げ33%という史上最高の妥結を勝ち取りました。しかし、二度に渡る「石油ショック」を経て突入した低成長時代のなかで、春闘は大きく転換することになりました。
とくに、「企業赤字」を前面に出した経営側の賃金抑制政策の中で、労働側は「企業内」に分断され、賃上げ自粛へと追い込まれていきました。
しかし、バブル崩壊、デフレ不況を背景にした企業間の競争が激しくなるなかで、春闘の役割が改めて問われるようになりました。
企業間競争は価格破壊競争として激化し、価格破壊→賃金・雇用破壊→消費低迷→価格破壊→賃金・雇用破壊・・・という悪循環を繰り広げ、労働者の生活を悪化させ、賃金格差の拡大傾向を強めるようになりました。特に、非正規労働者の増大と中小労働者の生活悪化が進むなかで、「格差是正」が春闘の大きな柱に据えられるようになりました。
賃金要求は、賃金水準を重視する個別賃金要求へと軸足を移し、2004春闘では初めての「中小共闘」が取り組まれました。多く論争を経て中小・地場組合の要求目安額も設定されるようになり、2006春闘では賃金カーブ維持分(定期昇給相当分)+賃金改善分を要求、さらに初めての「パート共闘」も設立し出発しました。
(労大ハンドブック 労働大学調査研究所編 「2006春闘」より抜粋)